PR

子どもに選ばせながら、最後は親が決めていたー子どもの選択を尊重するつもりが、親が奪っていた話

育児
記事内に広告が含まれています。

出来事そのものより、

それをどう受け取ったかが、関わり方を決めていた気がする───

こんにちはHARUCCOです。

この前、私と子どもでファミレスにご飯を食べに行った時の出来事を話しますね。


お子様メニューに「おまけつき」「おまけなし」で値段が違うということありますよね。

それを見て子どもは「おまけつき」の方を選んだんです。

ドリンクバーをつけることは最初から決まっていました。

しかし、子どもが「これにする!」と選んだ瞬間、私はほとんど考える間もなく

「おまけつきにするなら、ドリンクバーなしね」

と、反応的に言葉が出てしまったんです。

自分では落ち着いているつもりでした。

でも今振り返ると、あれは考えた結果ではなく、

イレギュラーなことが起きた時、反射的に答えを出しただけ”

だったのです。


その一言を聞いた瞬間、

子どもの表情が一瞬固まったのがわかりました。

「じゃあ、もうどっちもいらん!」

そう言って、怒ってしまったんですね。

その様子を見て、私はすぐに「やってしまった」と思いました。

子どもはわがままを言ったわけでも、間違った選択をした訳でもない。

選んだ”あと”に私が条件を足した

私は選ばせたつもりでした。

でも実際には、最後のところで回収をしてしまったんです。

主導権は最初から最後まで私にあって欲しかったんですね。


正直にいうと、

あの時私は、子どものためを思って口に出したのではありませんでした。

  • そのおまけは無駄にならないか
  • 私が思う結果じゃないから嫌だな

自分の不安を、早く片付けたかっただけ

子どもが選んだ結果、

私が損したり、調整役になったりするのが嫌だったのです。

だから私は、「それつけるなら、〇〇なしね」という一言で

選択権を取り戻しました。

私の安心を守るための介入

ということです。


思い返すと、こういう言い方は初めてではありませんでした。

きっと私は、

「選ぶことは自由だけど、最終調整は親がするもの」

そういう前提で動いていたのでしょう。

それがいつ身についたのかはよく覚えていないけれど、

私が小さい頃、自分で決めたことが、親にそのまま受け取ってもらえた記憶はあまりありません。

親の「こうしてほしい」を前提に話が進められたり、いつの間にか別の選択になっていたり。

そういう経験の積み重ねで

「親はこう思っているのかな」

「状況次第で、条件は変わってくるな」

それが当たり前になっていたのだと気づきました。

もし今、子どもに対して

「選んでもらっているけど、最終的には親の判断」

そんな関わりをしているのなら、

それは、私が幼少期に学んだ

”選んでも意味のない世界”

を教えているのかもしれません。


子どもが怒っているのを見て、私は立ち止まりました。

「ごめん、さっきの言い方嫌だったよね」

と伝え、

「もう一回最初から決めようか」

そう言って改めて一緒にメニューを見ました。


”今度は途中で口を挟まない”

”不安が浮かんでも、一回飲み込む”

そう心の中で決めて。

するとさっきの不機嫌さは消えて、

落ち着いて選ぶことができました。

「お母さん、ありがとう」

その一言を聞いた時、やっと私は気づきました。

特別なことは何もしていない。

ただ子どもの選択をそのまま受け取っただけ。


正直にいうと、また同じ事をしてしまうかもしれません。

イレギュラーが起きた時、反射的に口を挟む癖はそう簡単には無くならない。

しかし、もしまた同じ場面が来たら、私はまず黙ってこう考えようと思います。

「今、守りたいものは子どもの選択か、自分の安心か」

誰でも毎回うまくはできないし、完璧な親なんていません。

それでもどっちを選んでいるのかだけは誤魔化さずにいたいなと。

この日の出来事は「反省」よりも「私の無意識」を見せてくれたと思っています。

そして、それはちゃんと向き合えば、手放せるものでもあるということも。

コメント

タイトルとURLをコピーしました