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「察して欲しい」と思ってしまうのはなぜ?期待に振り回されていた私が気づいたこと

心のモヤモヤと向き合う
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私はもう「気づかない相手が悪い」に縛られたくありません。

どこかで相手をコントロールしようとしている自分。

相手がどうであれ、おこったことの責任は自分が持てるようになりたいなと思う今日この頃です。

起こったことの責任は自分でとる─だけど本音は

正直、現実を目の当たりにすると、「気づけよ」と思う自分がいます。

家のこと、子どものこと、言われるまで何もしない。

言われても嫌そうな顔をする。

私はそんな姿を見て、諦めつつも心のどこかでは期待してしまうのです。

”気づいてやってくれる”

それが外れてがっかりして悲しくなり、次第に怒りへと変わっていく。

でも私が言ったら”機嫌悪くなるだろうな”、そして私は”傷つくんだろうな”の無限ループにはまっていくのです。

相手の行動、言動に左右される私の思考。

正直しんどい。

責任を取らないことは楽だけど自由じゃない

だけど、その思考でいる限り、私は自由ではないんですよね。

私はこれまでの関わりから被害者的なポジションでいることに安心していました。

なぜなら、相手が変わるのを待てる、怒れる、努力しなくていいから。

つまり、相手次第。

どうしたらこの状況を抜け出せるかを自分の頭で考えることから逃げ、相手の行動ありきで私の感情が決まっていくのです。

相手の責任と自分の責任

私は相手に察して欲しいではなく、自分の要求を言語化できる人になりたい。

これまで相手がどう出るかを考えて、行動できなかったけど、私がお願いしたことで機嫌が悪くなるのは「相手の責任」。

私が責任をとる必要はないと思うのです。

これまでそこらへんが曖昧でした。

期待することは悪いことではありません。

ただ、その結果の責任は自分で取る必要があるのかなと思っています。

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