「これ欲しいけど、お金が足りない」
「最後の1個だから、買って!」
「帰ったらお金返すから!」
こんなことを自分の子どもに言われたら、どうしますか。
私は、「子どもが困っているなら」「助けてあげなきゃ」と思い、
「お母さん、出すよ」
と、すぐに解決策を与えていました。
だけど、そんな場面が頻繁に繰り返されるようになり、こう思ったのです。
「子どもが困る→すぐ助ける」を繰り返していたら、子どもが「どうしよう?」と自分で考える前に、私が答えを出してしまっているのかもしれない。
欲しいものがある。だけど、お金が足りない。
そんなときに、
「諦める」
「別のものを選ぶ」
「お金を貯めてから買う」
いろいろな選択肢の中から、どうするかを自分で考えることも、大切な経験なのではないか。
そう思ったのです。
もしかしたら私は、子どもが困らないように先回りしていたのかも。
そう思って、少し自分の行動を変えてみました。
すぐに解決しようとするのではなく、見守ってみる。
今回は、先回りして「なんとかしなきゃ」と思っていた私が、すぐに手を出さず見守ってみて気づいたことを書いてみたいと思います。
▼この記事は、私が自分を少しずつ取り戻していくまでを書いたシリーズです。順番に読みたい方はこちらにまとめています。

困っている娘を見ると、すぐに助けていた
「お金が足りない」
「最後の一個だから欲しい」
と言われたら、
「じゃあ、今回はお母さんが払うね」
「おうち帰ったら、お金返してね」
と、助けていました。
この頃の私は、
「娘が困っているなら助けてあげたい」
「今買わなかったら、次はもうないかもしれない」
「買えなかったことを引きずってほしくない」
そんなことを考えていました。
だから娘の「困った」に立ち会うと、先回りして何とか解決しようとしていたのです。
だけど、出かけるたびに、
「欲しいけど、お金が足りない」
→「じゃあ、お母さんが出すよ」
というやり取りを繰り返すようになりました。
「これでいいのかな?」
「もしかして私、娘が自分で考える機会まで奪ってない?」
そう感じたことが、私の行動を見直すきっかけになりました。
「買えない」を私が解決しなくてもいいのかもしれない
「買えない」ということは、娘が自分で考えるチャンスなのかもしれない。
そう思いました。
これまでの娘にとって、
「欲しいものがあるけど、お金が足りない」
となったときの選択肢の一つに、
「お母さんが助けてくれる」
がありました。
だけど、選択肢はそれだけではありません。
- 今回は諦める
- 今持っているお金で買えるものを選ぶ
- お金を貯める
考えてみれば、たくさんの選択肢があります。
「買えない」と困ったときに、私がすぐに解決するのではなく、娘自身がどうするかを考えて選べたらいい。
そう思って、お小遣いのルールを二人で話し合うことにしました。
口を出さずに、娘が選ぶのを待ってみた
お小遣いのルールを決めてから初めてのお出かけ。
娘が大好きなキャラクターのお店に行きました。
この日は私も、
「今日は口を出さない」
と、決めていました。
「ここで待ってるから、自由に見ておいで」
と伝え、娘が自分で選ぶのを見守ることにしました。
しばらくして、欲しいものを見つけた娘が、
「これにする!」
と持ってきました。
だけど、持ってきたお小遣いでは足りません。
「足りないね。どうする?」
と聞くと、がっかりする娘。
「今回は、持ってきたお小遣いの範囲で選んでみてね」
と伝え、私は再び待つことにしました。
買えなかったことが残念だったようで、しばらく引きずっている様子でした。
それでも私は、何とかしようとせずに待ちました。
すると、しばらくして娘が満面の笑みで戻ってきました。
「見て!これにしたよ!」
自分で値段を見て、お金を計算して選んできたのです。
その姿を見て、
「私が先回りしなくても、自分で考えて選べるんだ」
と、なんだか嬉しくなりました。
「あと一個なの!」それでもルールを変えなかった
そして、その日もう一つの出来事がありました。
別のお店で、娘の大好きなキャラクターのシールを見つけました。
しかも、残っていたのは最後の一つ。
娘は
「これ買って!」
「お家でお金返すから!」
「最後の一つなの!」
なんとか買ってもらおうと、必死です。
だけど、もう手持ちのお小遣いはありません。
私は、
「最後の一個。なくなったら、もう買えないかもしれない」
「お家で返してくれるなら、いいかな…」
と、買ってあげるかどうか気持ちが揺れていました。
だけど、ここで思ったのです。
ここで助けたら、また「お母さんが何とかしてくれる」に戻る。
だから、
「今日はお小遣いももうないから、また来ようね」
と伝えて、今回は手を出しませんでした。
もちろん娘は残念そうでした。
この姿を見ると、「やっぱり買ってあげようかな」と思う気持ちもありました。
でも今回は、娘が残念がっていることまで、私が何とかしなくてもいい。
そう思って、そのまま帰ることにしました。
見守ることは、私の「何とかしなきゃ」を手放す練習だった
私が先回りして解決していたから、娘が自分で考えたらどうするのか、見ることすらしていなかったのだと思います。
実際に見守ってみると、私の気持ちも何度も揺れました。
子どもが困っていたら、親として何とかしてあげたくなります。
だけど、困っていることをすぐに解決してあげることが、助けることではないのかもしれません。
自分で考えるのを少し待ってみる。
必要なときには助ける。そんな関わり方もあるのだと思いました。
これまでのように先回りして解決するよりも、すぐに手を出さずに見守ることの方が、私にとっては難しいことでした。
「買ってあげたほうがいいかな」
「かわいそうかな」
そんな気持ちが出てきても、すぐには動かず、娘がどうするのかを待ってみる。
娘が自分で考えるのを待つためには、まず私が「何とかしなきゃ」を少し手放す必要があったのかもしれません。
見守ることは、娘が自分で考える練習であると同時に、私の「娘が困っている。何とかしなきゃ」を手放す練習でもあるのだと思います。
▼以前の私は、子どもが不機嫌になると、自分のやりたいことまで諦めていました。子どもの気持ちと自分の気持ちを少しずつ分けて考えられるようになった頃のことは、こちらに書いています。


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