「夫に期待しない」と決めたら、もう何も頼まない方がいいのでしょうか。
そうは思っていても、仕事や育児をしていると、どうしても夫の協力が必要なときがあります。
私も夫への期待を手放そうとしてから、必要なときには子どものことをお願いしていました。
ただ、夫に任せたからといって、すべてが思いどおりにいくわけではありません。
子どもに申し訳なく感じたり、夫の対応に腹が立ったり。任せると決めたのに、結局また期待してしまう自分もいました。
この記事では、夫に育児を任せた私の実体験を通して、「夫に期待しないこと」と「必要な協力をお願いすること」の違いについてお話しします。
夫に何も頼まず、一人ですべてを背負う必要があるのか。
そんな疑問を抱えている方が、自分はどこまで引き受け、どこから夫に任せるのかを考えるきっかけになればうれしいです。
夫の協力を前提に予定を立てるのをやめた理由は、こちらの記事でお話ししています。

夫に期待しないと決めても、必要な協力はお願いしていた
働いていると、仕事の都合や職場の食事会など、子どもを連れて行けないこともあります。
そんなときは、夫に期待しないと決めていても、協力をお願いしていました。
私が不在の間、子どものことを任せる必要があったからです。
そもそも私がやめたのは、自分でできることまで、わざわざ段取りをして夫に協力を求めることでした。
夫にお願いするために、あれこれ考えたり準備したりするくらいなら、自分でやった方が気持ちが楽だったのです。
でも、自分ではどうしても対応できないときは別。
そんなときまで、一人で何とかしようとは思っていませんでした。
私にとって「夫に期待しない」とは、夫に何も頼まないということではなかったのです。
任せた以上、夕飯も寝かしつけも夫自身に考えてほしかった
子どもを連れて行けない用事がある日は、大まかな帰宅時間を伝えて家を出ていました。
夕飯をどうするか、何時に寝かせるか。そうしたことも含めて、夫自身に考えて動いてほしかったからです。
私がいない間のことは、夫に任せる。
そして、任せた以上は、私も夫のやり方に口を出さない。
そう決めていました。
子どもが一人で寝たと聞いて、申し訳なく感じた
私がいない日は、夫と子どもはたいてい外食をしていました。
子どもは夫との外食を楽しんでいて、私も二人で楽しい時間を過ごせることは大切だと思っていました。
そんな時間をつくってくれる夫には、感謝していました。
ところが、帰宅してお風呂を済ませ、寝かしつけになると、少し様子が変わったようです。
夫はそれまで、子どもを寝かしつけたことがありませんでした。
子どもも夫と一緒に寝室に行くことに慣れておらず、夫との寝かしつけを嫌がり、結局一人で寝ることになったそうです。
なかなか寝付けず、「お母さんはいつ帰ってくるの?」と夫に聞いていたそうです。
私が帰ってきたときには、すでに眠っていました。
でも、その日の様子を聞いて、寂しい思いをさせてしまったのかなと、子どもへの申し訳なさが込み上げてきました。
夫が諦めているように見えて、結局口を出してしまった
帰宅後、夫に子どもの様子を詳しく聞くと、
「自分には無理」
「だってお母さんがいいって言うんだもん」
と言っていました。
私には言い訳にしか聞こえず、とても悲しかったことを覚えています。
同時に、
「今までしてこなかったのは誰よ」
「私がやって当たり前だと思わないでほしい」
そんな怒りも込み上げてきました。
子どもが嫌がったから仕方ない、ではなく、夫も自分なりに考えて、子どもと向き合ってほしかったのです。
でも、夫に任せると決めたのは私自身。
夫のやり方に口を出さないつもりでいたのに、「自分なりに考えて、何とかしてくれるだろう」と、どこかで期待していたのだと思います。
子どもが一人で寝たことよりも、夫が諦めているように感じたことが、私には悲しかったのです。
結局、任せると決めていたにもかかわらず、口を出してしまいました。
夫に期待しないと決めても、なかなかイライラがおさまらなかった私。そのときの気持ちは、こちらの記事にも書いています。

それでも、夫に任せること自体はやめなかった
夫が諦めているように感じても、私は夫に任せることはやめませんでした。
私にも自分の予定があります。どうしても子どもを連れて行けないときは、これまでどおり、夫に協力をお願いしていました。
夫に期待しないと決めても、思いどおりにいかなければ腹が立つこともあります。
もちろん、子どもの気持ちに配慮することは必要です。
でも、だからといって、私が夕飯から寝かしつけまで、すべてを段取りするやり方には戻りたくありませんでした。
夫に期待しないことは、何も頼まないことではない。
必要なときには、協力をお願いする。そして、任せたことまで自分が背負おうとしない。
私にとっては、それも夫への期待を手放していく一つの方法だったのだと思います。

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